内藤大介さんのボクシングのこれまでの戦歴です。
1996年10月11日、プロデビューを1RKOで飾る。
1998年12月19日、全日本フライ級新人王決定戦で福山登を1RKOでくだし10連勝で新人王を獲得。
2001年7月16日、坂田健史の持つ日本フライ級王座に挑戦し、引き分けで王座獲得ならず。しかし、この試合は内藤の勝利を支持する声も多く見られた。
2002年4月19日、タイでポンサックレック・グラティンデーンジムのWBC世界フライ級王座に挑戦し、世界フライ級タイトルマッチ史上最短の1R34秒KO負けを喫する。しかし、復帰戦をKOで飾ると、その後も菊井徹平を下すなど順調に勝ち進みランキングを上昇させてゆく。
2004年6月6日、中野博の日本フライ級王座に挑戦。内藤は中野から2度のダウンを奪うなど一方的に攻め続け、6Rに偶然のバッティングによる負傷判定勝ちを収め、日本王座を獲得。
2004年10月、小嶋武幸を相手に日本王座の初防衛戦を行い、日本タイトルマッチ史上最短となる1R24秒KO勝ちを収める。
2005年10月、WBC世界フライ級王者ポンサクレックに再挑戦するも、7R負傷判定で敗れ、世界王座の獲得はならなかった。
2006年6月、東洋太平洋フライ級王者小松則幸と、史上初の日本・東洋太平洋統一タイトルマッチを行い、小松を6RTKOで破り、日本・東洋太平洋王座の2冠を達成する。同年12月には東洋太平洋王座単独の防衛戦を行い、判定で初防衛に成功している。
2007年2月、自身の負傷及び、日本・東洋王座の防衛戦の兼用の厳しさを理由に東洋王座を返上。以降は日本王座を防衛しながら3度目の世界挑戦を表明。 ポンサクレックに3度目の挑戦を表明するも、地上波放映を決定していたTV局が放送を取りやめ、スポンサーが集まらず開催が危ぶまれる。その後ドンキホーテなどが名乗りを上げるも、必要な金額までいたらなかった。その後7月6日になって東京ローカル局のTOKYO MXが生放送で地上波での中継放送を行うことを発表。必要な金額もめどが立ち、ようやく試合開催にこぎつけた。
2007年7月18日、WBC世界フライ級王座3度目の挑戦で、王者ポンサクレックに12R判定勝ちし、5年前の雪辱を果たす。世界初挑戦から約5年、ついに悲願のベルトを巻くことに成功した。
2007年10月11日 初防衛戦戦い、WBC世界フライ級14位の亀田大毅に快勝。初防衛。
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